takuの休憩所(blog)-春夏冬中-

徒然なるままに記述する、惰性日記。

2006年

12月04日

(月曜日)

たらったったた

現状に甘んじている理由なんて実際はひとつで、単に本人の努力不足でしかない。それがわかっている人間であればあるほど、言い訳を重ねていくにつれ自分の中で欺瞞を感じ自分不信に陥る。
不利な立場というのは、むしろ他人を出し抜くチャンスであるのだが、同時に「〜ないからできない」という逃げの言葉を生み出してしまう。

「男前じゃないから彼女ができない」
「暇がないから勉強に身が入らない」
「忙しいからなにかを学ぶタイミングがない」
「金がないから進学できない」

もちろん環境が左右する要因でもあるが、大概のところは自分の努力が足りていないだけであり、それに対する言い訳に過ぎなかったりする。

まぁ、自分もその類の人間にあるのは確か。
「ない」というのは「ある」よりも有効な要素。
極端な話、親の脛を齧る学生より、苦学生として卒業している人間のほうが価値があるといっても過言ではない。もちろん例外も存在するが。
ところが「ない」の壁というのは何よりも高くそびえ立つように見え、「ある」を羨望の眼差しで見るだけになるという、卑屈な意識にも発展してしまう諸刃の剣でもある。

ここが難しい。
「ない」が「ある」を超えるために必要なもの。

結果的に精神力なんだろうなと思ったり。
「ない」人間というのは結局「ある」人間の倍は努力しないと同じ環境になりえない。それを維持するためにはやはり、強固な精神力を要する。「ある」人間の絶望的な欠点。「あるがゆえに意識しない」事。自分を嫌いと思っている人間は自分のことを心から愛することができるようになり、結局クリスチャン的に言う「隣人愛」にもつながるのだが、自分のことをどうとも思っていない人間はまず、それを意識させるところからはじめなければならない。これが、何よりも困難なのだ。

果たしてその精神力が自分に存在するのだろうか・・・。
なんて思ってみたり。








タイトルのメロディーはシャ乱Qの「いいわけ」のつもり(笑)
別に意味はございません。単にノリです。


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