これから不定期的な話なんですが、論語っぽく文章を書く事にしました。
勿論、馬鹿馬鹿しい日記こそ自分の色なのですが、それと同時に自分の意見を展開するのも自分の色だなと思っていたのです。
さて、本日の議題は『動物愛護と動物好き』です。
動物好きを自称している方に対しては少しキツイ発言もあるでしょうが、ご了承ください。あくまでコレは、私の見解ですから…。意見や反論も勿論構わないです。
まず初めに。我が家には4匹の猫がいます。2匹は私が小学・高校生時代に拾ってきた雑種猫(以後、長男・末弟)。1匹はペットショップで買った病気持ちの雌猫(同・長女)。長女と長男の間に出来た4匹の子供のうちの1匹(同・次男)
年齢的には長男=長女>次男>末弟の順で、親子である前三匹はもうすでに10歳を超える高齢猫になってしまいました。相も変わらず元気ですが、長男がすこし衰えてきたというのが顕著に分かるので、すこし覚悟もしています。長男は特に自分と半生を共にした盟友であり、身勝手な自分の贖罪の象徴でもあると言う事で他の誰よりも思い入れは強いです。
自分は生まれて1ヶ月前後の長男を公園で拾ってきました。当時は目の網膜も開ききっておらず、動物の知識もなかった我々は悪戦苦闘しながら育てました。ミルクはどうとか、離乳食はどうするのかとか全く無知から何かを育てると言うのは大変労力がいる事だと思います。
ココで一番気をつけていなければならないのは、
この行動を私の優しさと勘違いしてはいけません。この家の主は母です。最初猛反対しながらも長男を受け入れる事に渋々でも同意してくれた母が寛大だっただけです。私は幼い頃から酷い動物アレルギー持ちで、とてもじゃないけど動物なんて飼える状態ではありませんでした。「長男を飼いたい!」と訴えた時も、鼻やら目やらズルズルになりながら訴えてたらしいです。覚えていませんが…。
現在では見事に動物アレルギーを強制克服し、動物を触っても大丈夫な体になったのはこの時に「絶対動物アレルギー何とかするから」っていう宣言をした決意の強さなのかもしれません。
もっとも、今の自分にはそんなパワー存在しませんが(笑)
そんな悲壮な決意で長男を迎え入れながら、3ヶ月後に真下の草むらに捨てました。言い訳はしません。自分が身勝手だったんです。
「やっぱり捨てられへん」
捨てて1時間後にそう改心して見に行った時には、長男は姿を消していました。遊びたい盛りの生後半年の子猫。同じ場所にじっとしておくほどおとなしい訳なかったんでしょうね。結局、彼が家に戻ってくるのに2ヶ月を要しました。その間に長女を買って来て…、その子が病気と言う病気を持ちつくした猫だった事や、ずっと長男を探して半分あきらめかけていたという心理状態は省略です。どんだけ色をつけても自分が悪かったと言う事には変わりはありませんから。
文頭に『長男は贖罪の象徴』と語りましたが、要するにそういう事なんです。この子が本当に拾ってきた長男なんて保障はないんです。勿論、現状この子はあの時拾ってきた奴だと思ってますけど、そんなの分かるわけないんです。でも、我が家でこの子が長男だと思っていない人間はいません。それほど、この子はあの時の子だと思うに値する奴だったんですから。
さて、ようやく本文です。「初めに」が長過ぎましたね。
僕は一人暮らしをするようになってから、『動物好き』を自称する事が殆どなくなりました。もちろん動物に対する愛着は人一倍持っているつもりですし、近くの公園で一人ベンチに腰掛て野良犬相手に喋りかけている姿を目撃され、恥ずかしいと思った事も有る人間です。
だからと言って公然と「動物好きなんです〜」なんて言える人間でもありません。というのも、うちの母に言わしたら「お前の動物好きなんて発言は虫唾が走る。子供捨てた親が子供好きなんですと言ってるのと同意やろ。聞くが、お前は一人暮らしのその家になんで長男だけでも持って行かんかった?お前が拾ってきたんやろ。レオパ●スが動物飼えへん?飼えへん環境の家でもこうやって面倒見てるのは誰や。アンタじゃなくてあたしらやろ。勘違いをするな」
ド正論です。もはや反論の余地なんて与えてくれる隙すらありませんね。拾ってきたのなら拾ってきたなりに面倒見てやる。飼育者として当然の行動を放棄した状態で語る動物好きなんてただの戯言ですね。ホント。加え、女手一つで二人の子供を育て上げた母だけに、その説得力は他人の何倍も存在します。個人の感情を優先して喋らなければ、この母は他の誰よりも尊敬できる有識人なのだと思います。個人の感情全開だからあんまり好きじゃないけど。脱線しました。
その母に昔言われた言葉で、一つ心に残ってるものがあります。それは野良猫を見つけた僕が母親に、「あの野良猫がおなか減ってるから餌あげようよ!」って言った際にかえされた発言。
「taku、アンタな、そんな無責任な発言は二度とするな。ココでお前が私の財布から出した金で餌を買って、あの子にあげた後残るのはお前の自己満足と偽善だけやないか。お前の『してあげた』って自己満の為に、あの子を犠牲にしてやるな。本当にしてやりたいと思うなら『自分の金』で毎日餌をおいてやれる人間になれ」
当時はなんてヒドイ親だ。とか思いましたが、有る程度大人になって振り返ると至極真っ当な発言だと思います。例えばその猫にその日餌を買ってあげる。その日一日しのげるだけの餌であっても、その後の日以降、その子に餌があたる保障なんてないのです。それをやさしさだと思ってる『勘違い』が、結局その子にたいして残酷なまでにのしかかるわけです。「後の日は何とかなるやろ」なんて人間の勝手な考え方だし、そんな甘い認識で動物に接してやること自体が動物を軽んじているのと変わらないのですからね。
ちょっと前のどこかの朝刊のコラムで、「やせ細った野良猫に餌をあげたらその子は食べる事なく、近くから小さな子猫達を呼び出しその子等にすべてご飯を分け与えた姿を見て、野生に生きるということの凄みを感じた」というコラムがありましたが、まさにその通りなんだと思います。それと同時に、後文にて「その後その親子の姿を見る事はありませんでした」って書かれていたというのも紛れもない事実。人間のように「明日はどうにかなるやろ」なんて楽観的な考え方が出来ないのが野生なのでしょう。野生の動物に対して「可哀想だから」や「可愛いから」なんて人間の尺度でものを判断してあげる事は、あまり好ましくないのかもしれませんね。
最後に、友人のある年下の女の子の話を一つ。
ある日、僕とその子が一緒に歩いている時の事。
生後8ヶ月ぐらいの猫をその子が見つけました。
その子が上記にて書いた話の僕のように「餌をあげたい」と言う事を言ってきた際、僕は上で書いた話をしながらやんわりと拒否しました。気持ちは分かりますし、同じことしてた自分だけに、それを汲んでやるのも大切なのかも、とも思いました。
でも、それでこの猫がずっと救われるわけではありません。自分がそんな発言をする資格なんて無いのは分かっていたけど、ダメって事を伝えました。その後、彼女はしぶしぶ諦め、目を真っ赤にし半泣きになりながら家に帰っていきました。
次の日、ちょっと気がかりだった僕は、その猫がいた公園へ。
すると、前日猫が居たあたりに缶が一つ。次の日にはまた違う缶が一つ。
1ヶ月後ぐらいに彼女の友人伝いにあの子が一匹の猫を飼ったという話を聞きました。大反対されてたのを、押し通して自分の部屋で飼う事にしたんだとか。
多分、こういう子が本当の動物好きって言うんだと思う。
僕らはただ、そういう風に見せたいだけなんだなと。
自分より遥か下の世代に、こういう女の子が居てとても嬉しく思う。
俺も見習わなくては。とも思う。
最後に動物好きを自称する方、小動物に携わる方はこういう記事も読んでおくべきだと思ったので紹介します。リンク付けはしません。結構心に悪い話ですので、精神的に弱い方の閲覧は控えた方がよろしいかと思います。この話が正しいかどうかなんてどうでもいいんです。こういう現実がある上で、動物に携わると言う事を軽んじていないかという事に釘が刺せれば良いと思っただけです。
http://www.tanteifile.com/tamashii/scoop/0303/28_01/