takuの休憩所(blog)-春夏冬中-

徒然なるままに記述する、惰性日記。
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簡易コラム。ちょっとした雑感を少々。

とりあえずこのニュースを挙げてみる。

結構最近で、それなりに大きい扱いで記事になったこのニュース。
確かにこういう性質の子は居ると思うし、こういう風に認知されるのは凄く評価すべき事だと思う。世の中って言うのはマイノリティーを軽視する傾向があって、例えば新聞の記事に円グラフがあったって1%とかの内容を考査したりする事は少ないし、下手すれば大多数の所だけ見て終わりっていうのが万人の考え方。そんな中であえてその1%に対して考え取り組んだと言う事は革新的であり、とても素晴らしい事だと思う。


だが、素晴らしいと思いつつ、個人的に時期尚早感が否めない。
革新的な行動を世の中に認知させ、反映させる為にはやはり考査する時間が必要。例えばこの子が中学に上がった時に、他の校区の人間にどう説明できるのか?小学生の現状では体型的にも大差なく、問題も少ないだろう。だが、二次性徴が始まって身体的に大きな差が出てきた時、他の女の子達にだってそれなりに違和感が生じるだろう時期に、どう対処するのか。
小学校の6年間というのは体型的にはそれなりに大きく変貌を遂げる時期ではあるが、経験上精神的にはまだまだ幼稚とも言える時代。普通に女の子と男の子が裸で暴れまわったりできるような、そんな時期。ま、最近の子供は小学生でもそれなりに経験したりする子もちらほらいるらしいけど、まぁ、大体は男とか女とかの認識より子供っていう感じ。そんな世代だからこその『進級してクラスメートや担任が替わったが、特に混乱は起きていないという』であり、これを段々と年齢を重ねていったときにどうするのか。きっと「私はなんとも思ってないよ」っていう女の子も、いざ二人きりにされたりすると結構不安になったりすると思う。性別ってそういう風にできてるし。
学校自体が「どうせ卒業したらうちの生徒じゃないし」って投げっぱなしにしてる感も否めないという不安もある。林間学校や修学旅行等の集団就寝・集団入浴の際にもやはり弊害がある。小学生の時代に個別やら隔離やらというのは、精神的ダメージも大きくオススメできるものではない。今まで同じでOK、でもこれから駄目ではその体制の意味がなくなってしまう。それを容認するのであれば、大まかに言うカウンセラーという肩書きではなく、そのGID専門のカウンセラーや医師などで有る程度の規模のプロジェクトチーム等を組む必要性があるのではないかと思ったりもする。文章や他の記事を読んでいて『楽観的過ぎる』感がどうしても拭えないのだ。


今回の児童の場合、まだ小学生。個人的には中学生前後から判断しても遅くないと思う。
大体、『もし今後、体の性に戻ることがあったとしても対応できるよう態勢を整えたい』と医師が語っているとコメントされているように、医師自体にそのような経験がなく、知識として持っているだけの状態。そんな人のコメントを鵜呑みにして、こっち側の視点からだけで判断するのでなく、本当にそのような立場の人がどのようなことを望んでいるのか。それと『普通』とこの場合表される我々のような人間との価値観のギャップがどれぐらいあるのか。それらを埋め合わせていくことで、初めて評価されるべき体制だと思える。

実際、殆どの人が男は男の性であり女は女の性な世の中。
そうでない人が、それらを受容できる寛大な世の中にはなかなかなれないと思う。そういう性質を持つ人からすればこのような事例は「理解された」と考えるような状況かもしれないが、そのような考え方は早計で、この子がある程度経って「幸せでしたよ」って言ってくれて初めてこの取り組みが成功だと言える訳でしょ。今はきっかけが出来た、悪い良い方をすれば実験段階。この様な状態で「今回の事例のように、もっとこのような体制を広めよう」とはとてもじゃないけど言えない。逆にこっち側の人間でありながら、現状での状況を推し進められる人に対して無責任な見解を吐く偽善者としてしか捉える事が出来ませんね。俺は。





ふと思ったのです。
自分は小学生の低学年の時代、ほとんど外で遊ぶ事なく図書室で本ばかり読んでいた人間。プールに入るのが凄く抵抗があって…というよりも、人前で着替えるのが嫌で、ずっと見学してました。未だに男連中と共同風呂に行くのは抵抗があるし。親友と呼べるような相手でも、俺と風呂に入った事ある奴なんていない気が。たしかにドッチボールとかしてた記憶もありますが、それは結構高学年になってから。(うちの学校には男勝りの凄い女の子が居ましたし、抵抗も少なかったかもしれない)
小さいころは肩口まで髪があり「お嬢ちゃん」って呼ばれてました。小さいころは抵抗も無く、高学年過ぎた辺りからそう呼ばれる事にムッとしていたという母の証言あったり。うちの母がユニセックスな服装を好んで買って着せていたという部分もやはり影響あるかもしれません。流石にスカートとかは履いた事ありませんが、元々俺自身がスカート嫌いですからね、そんな性質だったとしてもパンツ派だったような気がします。うちの兄弟はやたらとぬいぐるみで遊ぶ兄弟で、コアラを勇者にラッコを魔法使いに見立てて、ラスボスウルトラマン人形を倒すPRGごっこをよくやってました。余談も余談ですが(笑)

ま、自分の場合は「女の子らしく」育てられたっていうのが強いんじゃないでしょうかね。あんまり男・女「らしく」っていう考え方が好きではないんですけど。もちろん今回の児童の様な性質とは大きく異なると自覚はしていますが…。

確かに個性を重んじるという姿勢はすばらしいものであり、現状の教育の方針である『平均的な生徒』を育てることを基調としたスタイルより、現場の意識に比重を置いた取り組みというものは大変すばらしいものだと思う。だが、思うに、個性というものは基本がベースにあってのものであって、臭い物には蓋をしろではないが、性教育に閉鎖的な日本の保健教育下においては、このような問題は難問の類に属してしまい、手に余るもので、結局答えなんて出るような簡単なものではないと思う。

『差別』や『拒絶』は自然に出てくるものだと思う。だって、自分と異なるものを否定したり拒絶したりっていうものが常にそばにあるのが人間であって、それを否定できる人なんて絶対居ないから。絶対ね。
だから、そういう考え方を懐柔する所から、もっと小さく細かいところから外堀を埋めるようにするようにすればよかったと思う。いきなり本丸に投げ込まれて困るのは周りの人じゃなく、本人なんですからね。

難しい問題ゆえ、口を大にしてどうこう言う事は出来ませんね。これは。

[ 2006/07/05 17:12 ] コラム | TrackBack(0) | Comment(4)

第二回 一応社会派コラム『愛国心の是非・個人的見解』

今日アニメイトに入った際、ロリータワンピの女の子と鉢合わせして自然に会釈してたtakuです。お互いニッコリ会釈しあう光景は微笑ましいモノと言えますが、同時に「誰?」っていう意識がお互いの中を駆け巡っていた事でしょう。不意に素で出てもたねんな、コレ(笑)
ただ、あの子を見て「下妻物語」のフカキョンが似合ってたなと思ったのは内緒です。

さて、セニョリータがどうなん?って聞いてたので個人的見解を述べようかなと。今日のお題は「愛国心」です。久しぶりにセニョリータって言ったよ(笑)

こういうの語ると「学歴と不相応だなぁ」って言われるんですけど(笑)
まぁ、本は読まないんですけど、新聞と自分の見解でなんとか。座右の銘は『無知は罪なり』『知は力なり』のtakuです。ごめん、嘘ついた。実はこの2日ぐらいで教育」絡みの本と「愛国心」絡みの本を4冊読んだよ。「愛国心主義的な本」と「教育基本法改正の是非本」に「アンチ日教組本」に「教育指導要綱うんぬん本」各方向からの視点にたって本を読むのはいいですが、頭がパンクしそうです。

こういう話は自分の見解と同時に、何故こういう事になっているかを考査しないといけませんからね。外面(そとづら)真面目、根は不真面目な奴です。普段からこういう事してりゃもっと賢くなれるはずなのに。


もっと真面目に生きようぜ、俺orz...

※文の構成上オイオイって思う所も多く存在(文末の不統一等)するかもしれませんが、我慢してください。レポートならしっかりしてましたが、まぁいいかなって思ったんで。適当万歳です。


[ 2006/06/25 00:00 ] コラム | TrackBack(0) | Comment(7)

第一回 一応社会派コラム『動物愛護と動物好き』前編

これから不定期的な話なんですが、論語っぽく文章を書く事にしました。
勿論、馬鹿馬鹿しい日記こそ自分の色なのですが、それと同時に自分の意見を展開するのも自分の色だなと思っていたのです。

さて、本日の議題は『動物愛護と動物好き』です。
動物好きを自称している方に対しては少しキツイ発言もあるでしょうが、ご了承ください。あくまでコレは、私の見解ですから…。意見や反論も勿論構わないです。


まず初めに。我が家には4匹の猫がいます。2匹は私が小学・高校生時代に拾ってきた雑種猫(以後、長男・末弟)。1匹はペットショップで買った病気持ちの雌猫(同・長女)。長女と長男の間に出来た4匹の子供のうちの1匹(同・次男)
年齢的には長男=長女>次男>末弟の順で、親子である前三匹はもうすでに10歳を超える高齢猫になってしまいました。相も変わらず元気ですが、長男がすこし衰えてきたというのが顕著に分かるので、すこし覚悟もしています。長男は特に自分と半生を共にした盟友であり、身勝手な自分の贖罪の象徴でもあると言う事で他の誰よりも思い入れは強いです。

自分は生まれて1ヶ月前後の長男を公園で拾ってきました。当時は目の網膜も開ききっておらず、動物の知識もなかった我々は悪戦苦闘しながら育てました。ミルクはどうとか、離乳食はどうするのかとか全く無知から何かを育てると言うのは大変労力がいる事だと思います。
ココで一番気をつけていなければならないのは、この行動を私の優しさと勘違いしてはいけません。この家の主は母です。最初猛反対しながらも長男を受け入れる事に渋々でも同意してくれた母が寛大だっただけです。私は幼い頃から酷い動物アレルギー持ちで、とてもじゃないけど動物なんて飼える状態ではありませんでした。「長男を飼いたい!」と訴えた時も、鼻やら目やらズルズルになりながら訴えてたらしいです。覚えていませんが…。
現在では見事に動物アレルギーを強制克服し、動物を触っても大丈夫な体になったのはこの時に「絶対動物アレルギー何とかするから」っていう宣言をした決意の強さなのかもしれません。
もっとも、今の自分にはそんなパワー存在しませんが(笑)

そんな悲壮な決意で長男を迎え入れながら、3ヶ月後に真下の草むらに捨てました。言い訳はしません。自分が身勝手だったんです。
「やっぱり捨てられへん」
捨てて1時間後にそう改心して見に行った時には、長男は姿を消していました。遊びたい盛りの生後半年の子猫。同じ場所にじっとしておくほどおとなしい訳なかったんでしょうね。結局、彼が家に戻ってくるのに2ヶ月を要しました。その間に長女を買って来て…、その子が病気と言う病気を持ちつくした猫だった事や、ずっと長男を探して半分あきらめかけていたという心理状態は省略です。どんだけ色をつけても自分が悪かったと言う事には変わりはありませんから。

文頭に『長男は贖罪の象徴』と語りましたが、要するにそういう事なんです。この子が本当に拾ってきた長男なんて保障はないんです。勿論、現状この子はあの時拾ってきた奴だと思ってますけど、そんなの分かるわけないんです。でも、我が家でこの子が長男だと思っていない人間はいません。それほど、この子はあの時の子だと思うに値する奴だったんですから。
[ 2006/06/17 13:40 ] コラム | TrackBack(1) | Comment(2)
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オワタ時計
プロフィール

taku

  • Author:taku
  • 音楽好きが高じ、20歳で初めてベースを握ったチャレンジャー

    ●性格●
    神経質・ネガティブ・人見知りの三冠王
    ●趣味●
    音楽・野球・サッカー・競馬
    ●好き●
    ・L'Arc〜en〜Ciel
    ・Janne Da Arc
    ・邦楽全般
    ・洋楽は基本的に聞かない
    ・トリッキーなベースライン

    ■ライブレポ
    ・L'Arc〜en〜Ciel
    「ASIAN LIVE」

    「AWAKE TOUR」

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    03「7Days」in東京

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